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〒068-0403 夕張市本町4丁目38番地
夕張と言えば、石炭のマチとして栄え、近年は全国的に名高いブランドを誇るメロンの里、石炭の歴史村を核とした観光のマチ、そして映画のあるマチとして全国的に知られている。
かつては、当市の基幹産業であった石炭産業は飛躍的な発展を遂げ、人口も最多時で12万人を擁していたが、国のエネルギー政策により「石炭から石油」へと変革、市内にあった24の鉱山が相次いで閉山を余儀なくされ、人口も9,000人を割り込み最多時よりこの10年間で34,5%75%減少、編成30年3月末で8,305人となり、過疎のマチに化したのであります。
さて、夕張市にあっては、平成18年6月20日に、632億円を超える巨額な負債を抱え、財政破綻し、平成22年4月1日からは、新たな財政健全化法による全国初の「財政再建団体」から「財政再生団体」として、国の同意により、322億円の赤字解消に向け17年間に亘る険しい道のりがスタートされたのであります。
夕張市の財政破綻は、国の管理下におかれ地域住民はもとより地域経済にも深刻な影響を与え、新聞、テレビなどマスコミに報道されているように全国民に衝撃を与えたのであります。
財政再建団体に転落するのは、全国で平成3年(1991年)の旧赤池町(福岡県福地町)以来、道内では喜茂別町が昭和48年(1973年)に指定解除を受けて以来のこと。
今日、地域経済が疲弊し高齢化と過疎化が同時進行している「夕張問題」は、全国の地方自治体に共通する財政上の課題に警鐘をもたらし、日本が抱える地方の縮図が「夕張」であり、このことが解決できない限り、地方自治体の将来はないのではないか。
財政破綻後の市の動きとしては、破綻した市の第三セクターなどが所有していた観光施設の大半は、大手観光会社である加森観光による指定管理者の期間満了となり、引き続き、本年4月1日からスキー場、ホテル施設の売却を受け香港系ファンド投資会社の運営会社となった夕張リゾート(株)が新たな観光戦略に取り組んでいる。
最近では、スキーを楽しむ東アジアからの富裕層による観光客も年々増加傾向にあり、さらには、石炭の歴史村などは炭鉱遺産を活用した、負の側面を観光文化資源とした取り組みを展開中である。
さらに全国からの応援企業としては、漢方の大手メーカーであるツムラの進出、(株)ユーパロの営業再開、JR夕張駅前では屋台村が開設されるなど企業進出が相次ぎ、地域の明るい話題としては、平成27年1月22日には、内閣府より夕張市の地域再生計画の認定を受ける事となり、市の将来像を担うコンパクトシティとCBM(炭層メタンガス)を活用したマチづくりへの起爆剤として、経済の振興と雇用の創出に大きな弾みがつき、地元経済界からも大きな期待が寄せられている。
地域住民による自治活動としては、廃止となった市の連絡所を地域交流の拠点として高齢者などが集えるサロンとしての活用がなされ、市内各所にある生活館などでは、町内会による清掃活動、花壇の奉仕活動などが活発に展開され、市民の有志らでは、観光ボランティアによるNPO法人を立ち上げるなど活動はめざましいものがあり、炭鉱の全盛期を経ての歴史的な変遷からみると財政破綻する前とは、住民の行動パターンに大きな変化があった。
今後のマチの再生のキーワードは、住民による自治参画と新たな産業おこしの取り組みとして、地域のもっている潜在的な地域資源である「食、観光、ものづくり、自然環境、映画文化等」の特性を生かし、創意工夫を図りしっかりとした経済基盤の確立が求められ、何事にも「ムリ」「できない」など否定するのではなく、従来の固定観念を捨て、原点に立ち返って取り組む必要があるのではないか。
地域づくりは、人づくりが基本であり、行政が何をしてくれるかではなく、自分たちは、今すべきことは何かを真剣に考え、行動をおこさなければ、マチの再生は難しいのではないか。
今後は、地域住民が一人ひとりが、自分たちのマチで起きているコトに関心を持ち、自分にできることからはじめなければならない。
そして、地域住民の「個」のもっている英知を結集し、住民参加による持続可能な自治の活性化を目指してこそマチの再生は実現していくのではないか。
本市は、北海道の中央部よりやや南西に位置し、地勢は三方を夕張山系に囲まれ、南北を貫流、夕張川などの流域に蛇行して拓け、総面積の92%が林野で占められ、内91%が国有林、平地が少なく、豊かな森林や清流に育まれた大自然を背景に夕張岳(1,668m)から流れる夕張川とその支流が市内のほぼ中央を貫き流域に沿って帯状にマチが形成され総面積は763,20kuある。
内陸性の気候で気温の較差は大きく最高気温30度前後、最低、零下15度以下となり、平均標高は230mの丘陸傾斜地となっている。
近隣の札幌市、新千歳空港、苫小牧市からは60km圏内にあり、道路網も完備され国道274号線(札幌〜帯広)国道452号線(夕張〜芦別)及び道道札幌夕張線、道道夕張岩見沢線、高速道路では、道東自動車道の千歳〜夕張間が開通され現在、夕張〜占冠間(34km)の工事が進められ、平成23年秋には共用開始となり、道東と結ぶ重要な拠点都市となっている。
「ゆうばり」という地名は、アイヌ語でユーパロから転じたもので鉱泉の湧き出るところという意味である。
明治7年(1874年)アメリカ人鉱山地質学者ライマン氏の探検隊による地質調査の結果、夕張川上流に炭層があることが推定発表され、その後、明治21年(1888年)北海道庁の技師「坂市太郎」氏が幌内からシホロカベツ川上流に大炭層の露頭を発見したことから「炭鉱の街夕張」の歴史が始まった。
明治23年(1890年)に北炭の炭鉱開発以来、炭鉱城下町として平成2年(1990年)まで1世紀に亘って採掘され、現在、市では48鉱区の採掘権を残し、地下には豊富な石炭が埋蔵された状態にある。
明治25年(1892年)には、室蘭線を結ぶ鉄道が完成し石炭輸送が開始され石炭は増産され、夕張市は、国のエネルギー産業として石炭は日本の高度経済成長を支え、空知炭田の中核をなす「炭都」と呼ばれ最盛期の石炭産出量は年間、400万トンを出炭、歴史を振りかえると昭和12年日華事変の勃発、昭和16年太平洋戦争、昭和25年朝鮮動乱など内需拡大で鉄鋼産業への受注増、国内のエネルギー基地として飛躍的に発展、石炭産業は、明治以来の日本の産業振興と戦後復興を支えてきた。
しかしながら、昭和35年より国の石炭から石油へと国のエネルギー政策の変革と安価な海外炭の輸入、炭鉱の事故などの要因により、当市の炭鉱は昭和38年頃から24の鉱山は次々と閉山、平成2年3月末を以って夕張から炭鉱は姿を消し、炭鉱で従事していた下請け関連業者も含め市外へ人口の流出が続き、過疎化に拍車をかけているのが現状である。
当市の最多人口は、昭和35年4月には、116,908人の人口を数え、平成30年3月末現在では、人口も十四分の一に激減、8,305人(4,889世帯)となっている。
昭和18年(1943年)に市制が施行され、当時、人口は73,953人となり全道で9番目の市となり、近年、人口動態は高齢化が進み、65歳以上の高齢者の割合は50.6%、15歳以下は5.4%で高齢化の割合は、全国一、15歳未満の若者の割合は最低、高齢化では30年先の日本の姿を先取りをしている。
◎年齢別人口(平成30年3月31日現在)
人 口 | 年齢別人口 | ||||
世帯数 | 総 数 | 14歳以下 | 15歳〜64歳 | 65歳以上 | |
合 計 | 4,889 | 8,305 | 449 | 3,649 | 4,207 |
※総人口8,305人との対比で、65歳以上の割合は50.6%を占める。
又、15歳以下の年齢は全体の5.4%と低く、将来の当市の人口問題に深刻な不安要素を抱え過疎化と高齢化が同時に進行している状況である。
◎高齢者人口(平成30年3月31日現在)
65歳以上比率(%) | 65歳以上の高齢者の世帯数 | ||||
高齢比率 | 構 成 | 総 数 | 単身(独居老人) | その他 | |
合 計 | 50,6% | 100% | 4,207 | 1,633 | 2,574 |
※独居老人1,663人(65歳以上の総数4,207人との対比38.8%)を占める。
当市では、高齢者が多い中で医療機関への通院や冬期期間の自宅前の入り口道路や家屋での除雪など十分に対応できなくなってきている。近年、管外や地元住民らのボランティア活動が活発化し独居老人への支援が高まっている。
◎資料:厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所「2008年12月24日」発表。
本調査は、2005年の国勢調査を基に、自然増減や移動傾向など加味し、2035年まで人口を推計したもの。
区 分 | 2005年(H17) | 2015年(H27) | 2025年(H37) | 2035年(H47) | 備 考 |
北海道 | 5,627,737 | − | − | 4,412,839 | |
夕張市 | 13,001 | 9,898 | 7,245 | 5,181 | ※ |
※全国10番目の減少率
財政再建計画(H188〜H36)の最終年次の人口想定は、7,525人であったが、今回の推計では、H36年では7,483人、H37年では7,245人、H38年では7,008人となっている。